曰く!これだけ!~井口流合気道の秘伝と雑記〜

井口流合気道の技や考え方を紹介しています。

無我の境地に至る道

1. 追い求めると手に入らない

ひとりでに体が動き、力を全く感じないままに技が決まる。このトランス状態に最近は全く入れていません。

師匠の技を再現したいという欲、新たに入門された空手、柔道黒帯の方や総合格闘技元プロの方と比較する自我・・・以前より余計な思念が入り込んでいる事がトランス状態に入ることを妨げているのでしょう。

 

2. 弓と禅 の再読

あの境地に再び入るために何かヒントはないものか。本棚にあった『弓と禅』が目に留まりました。ドイツの哲学博士、オイゲン・ヘルゲルが弓道修行を通じて、根底に流れる禅に触れるまでを綴った体験談。

帯に『スティーブ・ジョブズの愛読書』とあったので数年前に購入した書です。初めて読んだ時の感想は「ジョブズはLSDやった事あるから理解できるのか・・・?全然わからん!!」でした。

それもそのはず、論理や思考を超えた高次の肯定が禅。論理的に考えれば考える程、頭を抱える羽目に。

 

ヘルゲル博士は、弓の引き、矢の放れ、中り(あたり)の各段階で論理的な試みや思考をします。そして師である阿波研造氏はその都度、

腕力で弓を弾いてはいけない。呼吸にだけ意識を向けなさい。矢が自ずから放れるまで待ちなさい。射は自ずから落ちてこなければならない。自分自身から離脱しなさい。的は狙いません。という旨の指導を行います。

ヘルゲル博士「いったい射というのはどうして放される事ができましょうか、もし”私が”しなければ」

阿波研三師範「”それ”が射るのです。」

 ??? しかし最終的にヘルゲル博士は下記の境地にたどり着きます。

ある時私が特別善い射を出した後、師範は尋ねた。「今やあなたは“それ”が射る、“それ”があてるということが、何を意味するかお分かりでしょうか」と。

私は答えた、

「私はもはや全く何も理解しないように思います。もっとも単純なことですら私を惑わせます。いったい弓を引くのは私でしょうか、それとも私を一杯に引き絞るのが弓でしょうか。的にあてるのは私でしょうか、それとも的が私にあたるのでしょうか。

あの“それ”は肉眼には精神的であり、心眼には肉体的なのでしょうかーその両方でしょうか、それともどちらでもないのでしょうか。

これらすべて、すなわち弓と矢と的と私とが互いに内面的に絡み合っているので、もはや私はこれを分離することができません。のみならずこれを分離しようとする要求すら消え去ってしまいました。

というのは私が弓を手にとって射るや否や、一切があまりに明瞭で一義的であり、滑稽なほど単純になるのですから……」と。

「今やまさしく」師範はその時私を遮っていった、「弓の弦があなたの肺腑を貫き通りました」と。

3. 淡々と粛々と

最近の稽古では余計な念が多かったからトランス、無我の境地に至らなかったのだと思います。

なお最後に無我の境地に入ったのは、相手を完全に無視して、狙う場所へと赤子が手を伸ばすように無心で動いた時でした。

もう一年ほどその状態に入っていません。無我の境地。意を出してはいけない。そもそも求めてもいけない・・・ 先は長そうです。

 

4. 余談 他人との比較について

昨年トラディショナル・ヨガという、目を閉じて静かに行うヨガの体験をしました。そこで最初に次のようなことを言われました。この言葉はきっと自分の助けになるだろう。そう思います 。

「(ポーズが)できなくても誰とも比べたり、競争したりしないでください。誰ともというのは、自分とも、です。自分とも競争しないでください。」

 

5. まとめ 無我の境地

曰く!自然!これだけ

 

6. 井口流合気道、IAM護身術の紹介

合気道の秘伝を我々のような凡人でも再現できるよう、一つ一つの要素へと分解、稽古しています。火曜日20:00~、金曜日21:45~稽古中。詳しくは師匠 橋本先生のHP(IAM護身術)をご覧ください。参考までに下記に私なりの紹介記事も載せておきます。

www.iguchiryu-aikido.com